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ICHINOSE TAIZO
一ノ瀬泰造プロジェクト(1)
一ノ瀬泰造の遺したもの 〜 いま蘇る封印された最後のフィルム 〜
1972年10月下旬、一ノ瀬泰造氏がアンロク(ベトナム)付近のオペレーションに参加して取材中に被弾したカメラ、 ニコンF。(一ノ瀬清二氏撮影)
『30年間このカメラに装填されたままのフィルムを現像?・・・!!』
「地雷を踏んだらサヨウナラ」の言葉を遺し、1973年に戦禍のカンボジアで消息を断った戦場カメラマン一ノ瀬泰造。
彼の遺品であるニコンFは、正面から銃撃を受け弾丸はカメラ本体を貫通し、背面には大きな穴が無惨にも開いている。
今回このカメラに装填したままのフィルムを現像し、最後の写真集に掲載したいと言う泰三の母・信子さんの強い希望を伝えられ、不可能と思われる現像を引き受けた。
被 弾したカメラに残っていたパトローネ側から取り出されたフィルムの一部。(一ノ瀬泰造写真集「もうみんな家に帰ろう」(窓社刊)より)
写真化学の常識では1%の成功の確率もないが、わずかな可能性に賭けてみるだけの必然性を感じたのと、不可能と言われたモノクロ写真の化学修復技術を確立した知識と経験を生かせば画像を出せるのではないかと思った。

  カメラに装填されているフィルムの銘柄も、何枚撮影されているのかも不明。被弾したカメラは世界各地の戦争写真展で明るい照明のもとで展示されてきた為、このフィルムの状況は最悪である。そこでより詳しい情報を得る為に、カメラを撮影したVTRテープを送ってもらって検討した。

 その結果、感度設定ダイアルは640。フィルムカウンターは20。背面の穴から見えるフィルムの色はモノクロの色だった。結論として、当時の報道カメラマン達が常用していた「コダック トライX」に間違いないと判断した。

 このフィルムに30年の間に何が起こったのかを考えた。銃弾が貫通した穴からの「光線カブリ」温度や湿度の影響による「膜面故障」空気中の酸化物による予期しない「化学反応」などが予想された。写真工学や写真化学の想定外にあるこのフィルムについて、確実に画像を再現させる現像法はないと言うのが一般的な常識である。

 しかし、遺されたフィルムの20コマのうちの1コマでも画像を出せれば…との意向だったので、ひとつひとつの問題点をクリアしてゆけば、巻き取られた中心(フィルムの1コマ目から数枚)は完璧な画像は無理としても、何かしらの画像を浮かび上がらせると思った。

 写真集の締め切りが迫っていて、本番の現像まで2週間程度の時間しかない。

 問題点を整理してその対策を考えた。光線カブリに対しては選択現像法、潜像退行による感度の低下には強力増感現像液、化学カブリにはカブリ防止剤の使用、そして膜面の軟化には現像前硬膜処理を行えば良いのでは?しかし、この中には相反する事項が含まれるので、薬品の選択とサジ加減が非常に難しい。写真化学の本を調べても今回のような事例の現像方法については載っていない。誰も経験したことがないことに挑戦できることに幸せを感じ、母・信子さんの息子に対する熱い想いと愛情を知って、身体中に勇気と力が沸き上がってくるのを感じた。

 次の日から、選択現像法の効果、強制劣化による30年間の潜像退行による感度低下の測定、化学カブリ防止剤の効果、前硬膜処理の効果などのテストを始め た。30年分の強制劣化は72時間連続で行うので、昼間はもちろん夜間も目が離せない。また光線カブリの程度がどれ程か、仮説をたてて計算してみた。その 結果カブリ量は、昼間の直射日光に27分当て続けた程度だと見当をつけた。  (>>実験>>

 ある程度のデータがそろった4月9日、このプロジェクトのメンバーが富士フィルム本社に集まった。
 現像は15日に設備の整った富士フィルム芝浦開発センターで行い、前日の夜、泰三氏の母校である日本大学芸術学部・光画像計測センターでフィルムをカメラから取り出すことになった。そして開発センターで撮影した最終テスト用の20コマ撮影済みのトライXを預かった。このフィルムを強制劣化させ、カメラにセットして裏蓋をあけ直射日光に27分間当て「S4V2」現像液群(4浴タイプ)で現像処理した。

 結果は前半6コマでは正常な画像が現れ、7〜12コマでは部分的に画像が現れ、13〜20コマは真っ黒になった。しかし、この真っ黒に見えるフィルムにも、分離現像による画像がわずかに残っている。テストは大成功だった。

 いよいよ明日の現像にのぞむ14日の夜、現像液の調合を終え支度を整えている時に、電話のベルが鳴った。

 「非常にきびしい状況です。フィルムはトライXですが、先端のフィルムはリーダー部分を含めて15〜20Cm程度しかありません。フィルムカウンターにも銃弾があたって動いてしまったようです」と言うことは、撮影されたのは多くて3〜4コマ、そのうちの1枚は撃ち抜かれて欠損しているだろう。巻き戻されてパトローネに入っている1コマが撮影されていれば、そのコマは助かるかもしれない。銃弾の熱によるダメージが少ないことを祈るしかない。

 現像当日は朝から小雨模様。フィルムの状況からして満足な画像は得られないだろうが、「なんとしても画像を出してみせる」との強い気持ちが沸き上がってきた。

 約束の時間に開発センターへ行くとスタッフが集まっていた。皆の表情は曇りがちだった。お母様も昨夜明らかになったフィルムの短さに落胆し体調が思わしくなく、昼近くに車いすで来られるとのこと。現像スタッフが集まり、この緊急事態について打合せをした。「テスト現像より第1現像を強くして本来の画像をできるだけ出せば、この条件でも画像は出せるだろう」との結論に達した。

 暗室で現像に立ち会いたいとのお母様を待つ間に各処理液の用意をした。やがて車いすで現れたお母様は、見るからに体調が悪そうで精気も感じられなかった。暗室に入り箱に入れられたパトローネを取り出し、フィルムピッカーを静かに差し込むとパリパリと小さな音がして妙な感触が指に伝わってきた。パトローネの中でフィルム同士が張り付いているのだ。1コマ分程度引き出すとそれ以上は動かない。ピッカーを外し直接フィルムを持ってみたら、とても固く感じた。もう少し引き出したいので少し力を入れたらフィルムが切れてしまった。銃弾の高熱でフィルムがもろくなっている。この1コマをリールにセットし、先端部のフィルムをもうひとつのリールに巻き込んで現像タンクへセットした。

 いよいよ現像にとりかかる。タイマーを0に合わせ23℃にした硬膜液をタンクに注ぎ込む。現像工程表に従って作業は順調に進んで行く。「落ち着いて普段通りにやれば良いんだ」と自分に言い聞かせるがやはり緊張してしまう。第4現像の終わりにセーフライトにフィルムをかざすと案の定「真っ黒」で予定の濃度に達している。光を反射させたらぼんやりと画像が見えた。フィルムをタンクに戻し、定着液を注いだ。

 なんとか成功したようだ。心臓はドキドキし手も僅かに震えている。46分のすべての行程を終え、温風乾燥機で乾燥する。フィルムが乾いて強い光で透かしてみると、はっきりとはしないが画像がある。スタッフ一同からどよめきの声があがった。

 パトローネ側のフィルムからプリントを始めた。

 MGペーパーを使いフィルターは超硬調の5号。絞りは解放で2分間露光。現像を始めると、それまで車いすに座ったままだったお母様が立ち上がり、杖もつかずに現像バットのところまで一人で歩いてきた。

 「何か写っていますか?」その表情は先ほどとは違い、生き生きとして食い入るように現像中のプリントを凝視していた。

 「そうですね、樹が写っているようです」と答えると「ここのところに猫がいるように見える。たいちゃん、ネコが好きでよく写していたから」と独り言のようにつぶやいていた。次に先端側の2コマ目をプリントしたら、銃弾の熱で変化を起こしたらしく、現代アートの作品のような不思議な画像が現れた。最後にプリントした1コマ目は、川を隔てた対岸に装甲車?が小さく写っているような風景と思われる画像が浮かんできた。

 プリントの乾燥が終わり、3枚の写真を手にしたお母様は何も言わずしばらくの間、ジーッと見つめていた。やがて「これで充分です」とささやくとその優しい目には光るものが溢れてきた。しばらく休んでいたお母様が帰られるとき「今日はご苦労さま、本当にありがとう」と差し出したその手は、とても柔らかく温かく感じられた。

 すべての仕事を終えスタッフに別れを告げ外へ出ると相変わらず小雨だったが、清々しい気持ちで心が満たされている自分に気がついた。

 今回のプロジェクトでは、モノクロ写真の「懐の深さ」を改めて思い知らされた。一見写真の常識と思われていることが、実は必ずしも真実とは限らない。理論を正しく理解し、好奇心と情熱を持って、あきらめずにやってみれば、不可能と思われることでも打開できる可能性は残されているのだと。



(4コマ目の画像)


(2コマ目の画像)


(1コマ目の画像)
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