研究
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一ノ瀬泰造の遺したもの
〜 いま蘇る封印された最後のフィルム 〜
被弾したカメラに残っていたパトローネ側から取り出されたフィルムの一部
[ 一ノ瀬泰造写真集 『もうみんな家に帰ろー!』(窓社刊) より ]
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 写真化学の常識では1%も成功の確率はないが、僅かな可能性に賭けてみるだけの必然性を感じたのと、不可能と言われたモノクロ写真の化学修復技術を確立した知識と経験を生かせば画像を出せるのではないかと思った。

 カメラに装填されているフィルムの銘柄も、何枚撮影されているのかも不明。 被弾したカメラは、世界各地の戦争写真展で明るい照明の下で展示されてきた。 このフィルムのフィルムの状況は最悪である。 そこでより詳しい情報を得るために、カメラを撮影したVTRテープを送ってもらって検討した。

 その結果、感度設定ダイアルは640。フィルムカウンターは20。背面の穴から見えるフィルムの色はモノクロの色だった。 結論として、当時の報道カメラマン達が常用していた「トライX」に間違いはないと判断した。

 このフィルムに30年の間に何が起こったのかを考えた。 銃弾が貫通した穴からの「光線カブリ」、長期間未現像だったことによる「潜像の退行」と「化学カブリ」、温度や湿度の影響による「膜面故障」、空気中の酸化物による予期しない「化学反応」などが予想された。 写真工学や写真化学の想定外にあるこのフィルムについて、確実に画像を再現させる現像方法はないというのが一般的な常識である。

 しかし、残されたフィルムの20コマの内1コマでも画像を出せれば・・・との意向だったので、ひとつひとつの問題点をクリアーしてゆけば、巻き取られた中心部(フィルムの1コマ目から数枚)は完璧な画像は無理としても、なにかしらの画像を浮かび出せると思った。

 写真集の締め切りが迫っていて、本番の現像まで2週間程度の時間しかない。
問題点を整理してその対策を考えた。 光線カブリに対しては選択現像法、潜像退行による感度の低下には強力増感現像液、化学カブリにはカブリ防止剤の使用、そして膜面の軟化には現像前硬膜処理を行えば良いのでは? しかしこの中には相反する事項が含まれるので、薬品の選択とサジ加減が非常に難しい。 写真化学の本を調べても今回のような事例の現像方法については載っていない。 誰も経験したことがないことに挑戦できることに幸せを感じ、母・信子さんの息子に対する熱い想いと愛情を知って、体中に勇気と力が沸き上がってくるのを感じた。

 次の日から、選択現像法の効果、強制劣化による30年間の潜像退行による感度低下の測定、化学カブリ防止剤の効果、前硬膜処理の効果などのテストを始めた。 30年分の強制劣化は72時間連続で行うので、昼間はもちろん夜間も目が離せない。また光線カブリの程度がどれほどか、仮説を立てて計算してみた。 その結果カブリ量は、昼時の直射日光に27分当て続けた程度だと見当をつけた。 ( >> 実験 >> )

 ある程度のデータが揃った4月9日、このプロジェクトのメンバーが富士フィルム本社に集まった。 現像は15日に設備の整った富士フィルム芝浦開発センターで行い、前日の夜泰造氏の母校である日芸・光画像計測センターでフィルムをカメラから取り出すことになった。 そして、開発センターで撮影した最終テスト用の20コマ撮影済みのトライXを預かった。

 このフィルムを強制劣化させ、カメラにセットして裏蓋を開け直射日光に27分間当て「S4V2」現像液群(4浴タイプ)で現像処理した。 結果は前半6コマでは正常な画像が現れ、7〜12コマでは部分的に画像が現れ、そして13〜20コマは真っ黒になった。 しかしこの真っ黒に見えるフィルムにも、分離現像による画像が僅かに残っている。 テストは大成功だった。

 いよいよ明日現像に臨む14日の夜、現像液の調合を終え支度を整えているとき、電話のベルが鳴った。
「非常に厳しい状況です。 フィルムはトライXですが、先端のフィルムはリーダー部を含めて15〜20センチ程度しかありません。 フィルムカウンターにも銃弾が当たって動いてしまったようです。」
ということは撮影されたのは多くても3〜4コマ。 その内の1枚コマは撃ち抜かれて欠損しているだろう。 巻き戻されてパトローネに入っている1コマが撮影されていれば、そのコマは助かるかもしれない。 銃弾の熱によるダメージが少ないことを祈るしかない。

 現像当日は朝から小雨模様。 フィルムの状況からして満足な画像は得られないだろうが、「何としても画像を出してみせる。」との強い気持が沸き上がってきた。 約束の時間に開発センターに行くとスタッフが集まっていた。
皆の表情は曇りがちだった。 お母様も昨夜明らかになったフィルムの短さに落胆し、体調が思わしくなく昼近くに車椅子で来られるとのこと。 現像スタッフが集まり、この緊急事態について打ち合わせをした。
「テスト現像より第1現像を強くして本来の画像をできるだけ出せば、この条件でも画像はだせるだろう。」との結論に達した。 暗室で現像に立ち会いたいとのお母様を待つ間に各処理液の用意をした。 やがて車椅子で現れたお母様は、見るからに体調が悪そうで精気も感じられなかった。  暗室に入り、箱に入れられたパトローネを取り出し、フィルムピッカーを静かに差し込むとパリパリと小さな音がして妙な感触が指に伝わってきた。 パトローネの中でフィルム同士が張り付いているのだ。1コマ分程度引き出すとそれ以上は動かない。 ピッカーを外し直接フィルムを持ってみたら、とても堅く感じた。 もう少し引き出したいので少し力を入れたらフィルムが切れてしまった。 銃弾の高熱でフィルムが脆くなっている。 この1コマをリールにセットし、先端部のフィルムをもうひとつのリールに巻き込んで、現像タンクにセットした。

 いよいよ現像に取りかかる。 タイマーを0に合わせ、23度にした硬膜液をタンクに注ぎ込む。 現像工程表に従って作業は順調に進んで行く。 「落ち着いて普段通りにやれば良いんだ。」と自分に言い聞かせるがやはり緊張してしまう。 第4現像の終わりにセーフライトにフィルムをかざすと案の定「真っ黒」で予定の濃度に達している。 光を反射させたらぼんやりと画像が見えた。フィルムをタンクに戻し定着液を注ぐ。
なんとか成功したらしい。 心臓はドキドキし手も僅かに震えている。 46分の全ての行程を終え、温風乾燥機で乾燥をする。 フィルムが乾いて強い光に透かしてみると、はっきりとはしないが画像が有る。スタッフ一同からどよめきの声があがった。

 パトローネ側のフィルムからプリントを始めた。 MGペーパーを使いフィルターは超硬調の5号。 絞りは開放で2分の露光を与えた。 現像を始めると、それまで車椅子に坐ったままだったお母様が立ち上がり、杖もつかずに現像バットの所までひとりで歩いてきた。
「何か写っていますか?」その表情は先程とは違い生き生きして食い入るように現像中のプリントを凝視していた。
「そうですね、木が写っている様です。」と答えると、「ここの所に猫がいるように見える。たいちゃん、ネコが好きで良く写していたから。」と独り言のようにつぶやいていた。 次に先端側の2コマ目をプリントしたら、銃弾の熱で変化を起こしたらしく、現代アートの作品のような不思議な画像が現れた。 最後にプリントした1コマ目は、川を隔てた対岸に装甲車(?)が小さく写っているような風景写真と思われる画像が浮かんできた。


現像された 画像
(4コマ目)

銃弾の熱で変化したフィルム
(2コマ目)

現像された画像
(1コマ目)

 プリントの乾燥が終わり、3枚の写真を手にしたお母様は何も言わずしばらくの間ジーッと見つめていた。 やがて「これで充分です。」 とささやくとその優しい眼には光るものが溢れてきた。 
しばらく休んでいたお母様が帰られるとき「今日はご苦労様、本当にありがとう。」と差し出したその手は、とても柔らかく温かく感じられた。

 全ての仕事を終えスタッフに別れを告げ外にでると相変わらず小雨だったが、清々しい気持ちで心が満たされている自分に気が付いた。

 今回のプロジェクトでは、モノクロ写真の「懐の深さ」を改めて思い知らされた。一見写真の常識と思われていることが、実は必ずしも真実とは限らない。 理論を正しく理解し、好奇心と情熱を持ってあきらめずにやってみれば、不可能と思われることでも打開できる可能性は残されているのだと。

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〜 一ノ瀬泰造 関連イベント 〜
◆ 書籍
  写真集 『もうみんな家に帰ろー!26歳という写真家・一ノ瀬泰造』 (窓社刊)
  『CAPA』 2003年7月号  一ノ瀬泰造特集記事 掲載
◆ ドキュメンタリー映画 『TAIZO』
  オフィシャルサイト → http://www.teamokuyama.com/taizo/
 
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